- スティーブンソンに日本のことを伝えた正木退蔵
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2017.05.24 Wednesday
こんにちは。
一昨日、吉田松陰の伝記はイギリス人作家のスティーブンソンが一番早く発表したことを紹介しました。
「なぜイギリス人作家が吉田松陰の伝記を書くに至ったか?」「誰が伝えたのか?」「なぜ?」など、興味は尽きませんよね。
この経緯に関して良書があります。
『知られざる「吉田松陰伝」−『宝島』のスティーヴンスンがなぜ?』(よしだみどり著)です。
私は数年前にこの本のことを知り、読み、感銘を受けました。
広島の酒の父として知られる「三浦仙三郎」のことを詳しく記した著書のある池田明子さんと同じく、この本の作者であるよしだみどりさんを尊敬します。
こういう方の努力があり、一般の人が素晴らしい人の存在を知ることが出来ます。
この本の中で特に私が感銘を受けたのは、スティーブンソンに吉田松陰のことを伝えた「正木退蔵」という人物です。
調べてみると、この人はとてつもない人物でした。
萩博物館のサイトの「萩の人物データベース」に正木退蔵のことが紹介されています。
1846年に武士の家に萩に生まれる。13歳で吉田松陰の教えを受ける。その後、大村益次郎からも教えを受け、英学を修め、イギリスに留学。その後、明治政府の官僚となり、イギリス人のお雇い外国人教師を日本に紹介。東京工業大学の前身の学校の校長となり、ハワイ総領事にも就任。
1878年、イギリスのスコットランドに滞在時にスティーブンソンと出会い、吉田松陰のことを熱く語ったのが、スティーブンソンの関心を引き、「ヨシダトラジロウ」という作品に昇華したわけです。
そこまでイギリス人の心に残る話を行った正木退蔵の人物の素晴らしさ。それには類まれな英語力も必要です。
松陰先生のもとでの学びは数カ月で終わったようなのですが、その出会いが教育者として、官僚として歴史をつくる仕事を生んでいます。
彼が日本に紹介したイギリス人(おもにスコットランド人)教師によりどれだけ多くの日本の学生が先進知識を学んだか。
彼が初代学長となった東京職工学校(今の東京工業大学)でどれだけ多くの人物が学んだか。私が大好きな陶芸の河井寛治郎、広島の酒の恩人である橋爪陽(はしづめ・きよし)もこの学校の出身者です。
その後、ハワイ総領事として就任した時期は、ハワイ王国と日本政府が官約移民の制度を持っていた時代です。この時にも正木退蔵がその場にいたのです。
スティーブンソンを感動させた正木退蔵は、あらゆる現場で誠意を尽くしてことにあたったのだと想像できます。
こういう人がいたので、今の日本があるのですね。
感動します。