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小室正紀さんから福澤諭吉を知る

こんにちは。

 

今日も暑くなりそうですね。

 

さて、今日は、福澤諭吉とゆかりの深い小室正紀(こむろ・まさみち)さんが編者となっている書籍の紹介です。

 

『近代日本の福澤諭吉』(小室正紀)出版社は慶應義塾大学出版会です。

 

とても興味深い内容の本でした。

 

小室さんが語る福澤諭吉は抜群に魅力的な人物です。

 

 

そもそも、小室さんのことを知ったのは5月22日に放送された NHK の番組「知恵泉 福澤諭吉」です。

 

私が録画予約している中にこの番組も入っています。注目している歴史上の人物が取り上げられることがあるからです。

 

でも、番組の作りとしては、ちょっと甘めで、掘り下げ方が弱いので、「すごい」と思う回は少ない。(すいません)

 

ところが、時々、やはりすごい回があります。その回の歴史上の人物に関連したゲストが招かれるのですが、その中に、魅力的な人がいたりします。

 

「福澤諭吉」の回の小室さんがそういう方でした。

 

福澤諭吉を語るのに、愛がある。そして、合理的な論理展開。

 

私はすぐに小室さんが好きになりました。そして、小室さんが語る福澤諭吉も。

 

小室さんはどういう方なのかと調べてみると、慶應義塾大学の経済学部の教授を長く務めた方でした。そして、福澤諭吉の研究を行う慶應義塾大学福澤研究センターの元所長でした。

 

まさに「福澤山脈」の一人です。福澤諭吉の薫陶を受けた財界人や研究者の層を「福澤山脈」と呼ぶそうです。

 

 

この番組を見て、福澤諭吉に興味を持った私は、さっそく図書館で数冊の福澤諭吉の本を借りたのですが、この時には小室さんが関わった書籍は図書館にありませんでした。読んでみると、福澤諭吉は称賛する人と、「脱亜論」などから批判的に語る人と両極端あることが分かりました。

 

それで、ようやく今回、小室さんが編者となった書籍を手に入れて、福澤諭吉の全体像がうっすらと見えてきました。

 

まさに知の巨人です。幕末から明治にかけて、組織に属さず、言論で一般の人々にここまで影響を与えた人は他にいないのだと思います。

 

「一身独立、一家独立、一国独立」を説く福澤諭吉に共感します。それを世に伝えるため、言論と教育、それに経済の重要性を述べる福澤諭吉に心から共感します。

 

 

地位も財産もない地方に住む一介の下級武士が、自分の才覚で世に出ていく姿はまさに劇画のようです。

 

「門閥制度は親の敵でござる」「学問のすすめ」「西洋事情」など、福澤諭吉のことばのセンスにほれぼれ。

 

平易な表現を心がけ、一般の読者に届くことばを使い続けた福澤。そして、ものの本質を見抜く優れた分析力。

 

最大の特徴は、「優れたものを探し出す嗅覚」だと思います。

 

 

1860年にアメリカに4カ月、1862年にヨーロッパに1年、1867年にアメリカに4カ月渡航しています。幕末にこのような機会を得ている人はほとんどいません。まさに、日本と海外とを比べて語ることのできた人なのだと思います。しかし、福澤は偶然にこの機会を得たのではありません。自分から取りに行っています。

 

1860年の際は、咸臨丸に乗船した木村摂津守の従僕として参加しています。自分で何とかこの船に乗る方法を探りだし、実現したようです。

 

1855年には、当時日本で最高の蘭学の学べる場と言われていた緒方洪庵の大坂の適塾に入塾。これも自分で探しだしたようです。

そこで頭角を現し、塾頭となっています。

 

1858年に、蘭学塾を自分で開塾するも、1年後、横浜でオランダ語を使っても通じないことに衝撃を受けます。それで、独学で英語を学び始めます。このことが、1860年の咸臨丸乗船につながるのですね。

 

 

 

今年は明治維新150年なので、明治のことがよく取り上げられます。それで、私が素敵だなあと思う人物が2人。

 

福澤諭吉と大隈重信です。

 

慶應義塾大学と早稲田大学の創設者の二人がすごい。

 

この二人の知の巨人は、明治14年(1881年)まで、日本政府の内外で活躍していました。大隈重信は政府高官として、福澤諭吉はその大隈のブレーンとして。

 

ところが、「明治十四年政変」で、政治の中枢から大隈重信と福澤山脈の改革派の官僚が一掃されます。

 

これが、明治日本の最大の分岐点だったんだと思います。

 

 

味わい深い1冊です。

 

author:eiko, category:本の紹介, 07:15
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