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私は宇和島が大好き

こんにちは。

 

3月はじめから5月いっぱいまで多くの外国人観光客が日本を訪れます。

 

特にクルーズ船での来客が多く、私は宇和島、宇野、萩、境港なども担当することがあります。

 

どの観光も江戸時代に関係する箇所が含まれるので、どうやって江戸時代の感じを海外の方に理解してもらうかをいつも考えています。

 

城の話をするにしても、幕末・明治維新の話をするにしても、天領の話にしても、どれも江戸時代のシステムがまずわからないとピンときませんよね。

 

とりわけ、私が好きな場所は「宇和島」です。

 

8代藩主の伊達宗城(だて・むねなり)公は私が尊敬する歴史上の人物の一人。1818年生まれ、1892年没。

 

理由はというと、幕末の混乱時に日本のためにうまく働いた方だからです。

 

彼のとった手法は、海外の情報を入手して、それを日本の政治に生かそうとするものです。

 

ですから、江戸幕府から処罰を受けていた高野長英を宇和島藩にかくまい、多くの文献を翻訳させています。彼は、当代随一のオランダ語翻訳者だったんです。海外の事情に明るい。

 

その後、高野長英が去った後には、長州藩で村医者としてくすぶっていた(らしい)村田蔵六を藩士として迎えます。彼はやはり凄腕のオランダ語翻訳者。軍事にも強かった。後の大村益次郎です。

 

大村益次郎というと、後に長州藩士として、四境戦争(他の藩の人は長州征伐と呼んだりするあの戦争です)や戊辰戦争で大きな役割を果たし、日本陸軍の基盤を形作った人と言われています。

 

もし、伊達宗城に招かれていなかったら、その後の彼の活躍はなかったでしょう。

 

1866年に宇和島藩をイギリス公使の一行が訪れた時に随行したアーネスト・サトウというイギリス人の通訳は伊達宗城が海外の文献によく通じていたので、驚いたと日記に記載しているそうです。「私が会った大名の中で最も頭の良い人物」と述べたと言われています。

 

シーボルトの娘で「オランダおいね」と呼ばれた楠本イネも領内で生活をしていました。

 

上記の3人を結ぶのは二宮敬作。シーボルトの一番弟子だったそうです。その人と宗城公を中心に知的ネットワークがあったんですね。

 

海外の事情を踏まえて、かなり幕府にも意見し、幕閣から疎まれていたようですが、負けずに活動を続けています。

 

明治維新になって、新政府のもとで活動している時期が少しありますが、あまり目立った活動をしていません。

 

幕末の大名としては異例の人物でしょ。「新奇探索性」傾向の強い人ですね。

 

 

宇和島藩は、薩長土肥のように藩士が明治政府内で大活躍していうという感じでもありません。でも、有能な判事や学者を多く輩出しています。

 

 

宇和島に行くと、いまだに宇和島藩の爽やかな雰囲気が感じられて、大好きなんです。

 

宇和島港では伊達の侍が出迎えてくれます。

author:eiko, category:観光地の紹介, 05:47
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