- 常に状況は変化します
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2017.09.30 Saturday
こんにちは。
9月26日の夕方、何気なくテレビを見ていたら、NHKのニュースで「道後温泉に道後温泉別館が本日、開館した」と紹介していました。
知りませんでした。
数日後には道後温泉に行くことになっていたので、とてもありがたい情報です。
「道後温泉別館」は「飛鳥乃湯」(あすかのゆ)という名前です。聖徳太子が道後温泉を訪れたという逸話にちなんでいるそうです。
道後温泉の新たな観光資源として期待されます。
「道後温泉本館」が建てられたのは1894年。夏目漱石が松山に住んでいたのが1895年。
夏目漱石は新築の道後温泉本館が大好きで、よく訪れていたそうです。それで、『坊ちゃん』にも登場します。
出来たばかりの「道後温泉別館」で、夏目漱石と同じように感じられるといいのですが。
また、訪れた後に報告しますね。
- 野生動物へのエサやりを考える
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2017.09.29 Friday
こんにちは。
秋を感じられるこの頃ですね。
数日前、宮島に行った時、ずっとアイスクリームを手にした観光客について行っている鹿を見て、かわいそうだと思いました。
それまでも何度もそういう光景を見ていたのに、今回、特に心に残りました。
きっと、一週間前に訪ねた長野県の地獄谷野猿公苑で、山から下りてきたサルが、そこを訪れている人を全く無視している姿に感動したからだと思います。
「人間と野生動物の共生」というのは美しい言葉ですが、とても難しい。
地獄谷野猿公苑は職員がエサを撒いています。それで、サルが山から下りてきているのですから。
しかし、野猿公苑の活動はサルを商業化しているとは思えません。ギリギリのところで共生を行っているように思います。
先日、お会いした方から興味深い話を聞きました。一緒に訪ねた人がこっそりをエサを与えていたことが、野猿公苑の職員に分かり、同じグループの人が皆、退去を命じられたそうです。
私はその姿勢が50年間続いたから、現在の地獄谷野猿公園があるのだと思います。
大久野島のウサギ、日光のサル、奈良の鹿、宮島の鹿、地獄谷野猿公苑のサル。それぞれ、地域の人が真剣にその野生動物のことを考えて、人間との共生をめざしていると信じています。
地獄谷野猿公苑の初代苑長だった原荘悟さんの著書『野猿物語 ただ今入浴中』(1971年出版)の「はじめに」で、信州大学教授の羽田健三さんが文章を寄せています。
「そこでは、来訪者がサルに直接エサを与えることを絶対禁止している点に大きな特徴がある。日本にある他のいくつかの野猿公園では、来訪者の手からエサを与えているので、いわゆるサルの人品?が悪くなり、婦女子をケガさせる事例も数多いが、それを当初より気をつけられていたわけで、特筆大書すべき良策である」
奈良公園ではシカせんべいが販売されています。規則が分かっている人は、そこで販売されているシカせんべいだけは与えても良いのだと理解するのですが、それを入園者に徹底することが難しいらしいようです。
それで、日本人も外国人も、奈良公園でも宮島でも人がエサを与えても良いと誤解しているのでしょう。
残念です。
ぜひ、野生動物を観光に活用している場所での議論が深まることを期待しています。
- 英語の数字の聞き取りに新たなコツが分かりました
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2017.09.27 Wednesday
こんにちは。
秋晴れの日が続いて、気持ちいいですね。
知人がどっさりと栗を持ってきてくれるので、栗をたくさん食べています。美味しいです。
さて、1ヶ月くらい前、数字の聞き取りにブレークスルーがありました。
私がこれまでアドバイスしていたのは、下記の通りです。
「343,125」を例にとります。
1 343(スリー・ハンドレッド・フォーティスリー)と聞こえたら、それを書きます。
2 thousand (サウザンド) や million (ミリオン) などの単位が聞こえたら、カンマ( , ) を入れます。
3 数字が聞こえたら、口に出して(または頭の中で)数字をくり返して言うと、記憶がよく残ります。
ところが、受講生の方から、「343 という3ケタを記憶しておくのは難しい。私は、スリー・ハンドレッドと聞こえたら、すぐに 3 を書く。そして、後は2ケタの数字があると思って集中する」と聞きました。
それで試してみたら、びっくりするくらい、こちらの方が簡単。
これからは、下記のようにアドバイスします。
「343,125」を例にとります。
1 まず、3(スリー)と聞こえたら、3と書きます。そして、後、2ケタに集中して、その2ケタの数字を書きます。
2 thousand (サウザンド) や million (ミリオン) などの単位が聞こえたら、カンマ( , ) を入れます。
3 数字が聞こえたら、口に出して(または頭の中で)数字をくり返して言うと、記憶がよく残ります。
試してみてくださいね。
- 北斎の小布施と真田の上田
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2017.09.26 Tuesday
こんにちは。
今日も長野の情報です。
長野県にはたくさん訪ねたい場所があります。
今回は長野市を中心に、ちょっと足が伸ばせるところを訪ねました。
これまでに紹介した「地獄谷野猿公苑」や「渋温泉」は長野電鉄の沿線にあります。
そうすると、途中に魅力的な場所があるので、そこに行きました。栗がシーズンですしね。
小布施(おぶせ)です。
小布施は葛飾北斎が80歳を過ぎて4度も訪ねたという場所。240キロを80歳を超えた北斎は歩いて旅をしたようですから、驚きですね。
「北斎館」には北斎が84歳と85歳で描いたという祭屋台の天井画が4枚あります。
そのうち2枚(大波を描いています)は大英博物館に貸し出されていました。
9月15日の「歴史ヒストリア」は北斎とこの天井画が特集されていました。
10月1日(日)深夜「歴史ヒストリア」の再放送があります。興味深い内容なので、ぜひ。
小布施は和菓子どころとしても有名です。特に栗菓子が絶品です。
それに栗のおこわもおいしいんです。
長野電鉄の長野駅では改札近くで沿線でとれた野菜や果物を販売しています。
長野電鉄の沿線はリンゴ・ブドウ・クリ・稲穂がたわわに実っていました。
豊かです。
下の写真は長野駅で買い求めたブドウ。今、人気のブランド「シャインマスカット」です。
一房がとても大きく、見るからに美味しそう。一房700円で販売されていました。
ちょうど、長野駅に着いた時に、届いたらしく、駅で待っていた人がわらわらとこの箱に歩み寄って、即、完売しました。
私も一房買いました。
とれもフルーティーで美味しかったです。
9月23日に倉敷でシャインマスカットが売られていました。倉敷もブドウの産地です。同じくらいの大きさの一房が3700円。やはりシャインマスカットというとそれくらいの価格ですよね。長野電鉄で売られていた700円はびっくりな低価格です。
もう一か所、長野で訪ねたところがあります。
上田城です。
昨年の大河ドラマ「真田丸」を熱心に見たので、やはり上田城は訪ねたいと思いました。
長野と上田は北陸新幹線で隣駅です。12分間。1440円です。近いですね。
上田駅では、真田の「六文銭」の家紋と「赤備え」の鎧かぶとがお出迎えです。
上田城までは徒歩で15分くらい。
真田の築いた上田城は徳川によって破却されています。真田信之が松代藩に移った後に入った仙石氏により再建。そのお城も明治になって破却されています。
江戸時代の建物としては西櫓(にしやぐら)が残っています。
でも、いいんです。何もなくても、この場所で「上田合戦」が行われたんだと思って、しみじみしました。
- 9月23日・24日に通訳ガイド研修に参加してくださった皆さん、ありがとうございます。
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2017.09.25 Monday
こんにちは。
朝夕の風が冷たくなって、秋を感じますね。
毎年、この時期に依頼を頂いている通訳案内士の方向けの研修を今年も担当しました。
23日は岡山の後楽園から始まって、バスで移動して、平和公園の研修。
24日は広島駅から始まって、宮島、倉敷の研修です。
東京をはじめ各地から多くの通訳案内士の方が参加してくださいました。
私からお話しするだけではなく、バスの中で意見交換が活発にできて充実した時間となりました。
参加者の皆さんの熱意に感謝しています。
平和公園にある「平和の像 若葉」という湯川秀樹博士の歌碑です。
世界的物理学者の湯川博士は1934年に中間子理論を発表。その後、その理論が他の科学者の発見により証明され、1949年にノーベル物理学賞を受賞しました。1948年のアメリカ滞在時にはアインシュタインとも深い交流を持ったそうです。
この歌碑には「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」(湯川秀樹)とあります。
平和文化センターのサイトにこの歌碑の説明があります。それによると、「まがつびとは禍つ日の神の略で、災害・凶事を起こす神。イザナギノミコトがお祓いの時、汚垢から化成した神」とあります。
湯川博士は、戦後、科学者の責任について自省的な発言と行動を行った方です。平和公園では、「原爆の子の像」に折り鶴の形をした鐘も寄贈しています。湯川秀樹博士の人生について学びたいと思っています。
- 長野土産は八幡屋磯五郎の七味唐がらし
- 「男鹿半島」と「牡鹿半島」
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2017.09.23 Saturday
こんにちは。
18日の朝、台風18号が東北・北海道で猛威をふるっていた頃、NHKのニュース番組「おはよう日本」でこんなシーンがありました。
60代くらいの信頼のおけそうな気象予報士が、今後の台風の予想を行っていました。
何気なく聞いていたのですが、そのすぐ後に「訂正とお詫び」をアナウンサーが行いました。
「さきほど、おしか半島と発言がありましたが、おが半島の間違いでした」(こんな感じでした)
私は「気象予報士が地名を呼び間違えるのは、プロとして残念だなあ」と思いました。
すると、また5分くらいして、アナウンサーから「訂正とお詫び」がありました。
「さきほど、おが半島と訂正しましたが、正しくは、おしか半島でした」
想像するに、気象予報士の発言を聞いて、間違いと思った番組ディレクターか誰かが修正の指示を出した。それを気象予報士が指摘して、訂正の訂正(もとにもどる)になった。
気象予報士は現在、戦国時代の状況のようです。
中には、見るからにちゃらちゃらした気象予報士が番組に出演しています。また、中には、本格派の気象予報士が出演してる番組もあります。今回の気象予報士は後者の様子だったので、読み間違いは残念だなあと思ったのでした。
でも、彼は正しかった。やはりプロでした。
さて、「おしか半島」と「おが半島」です。
「おしか半島」は「牡鹿半島」と書きます。こちらは宮城県にある半島です。
「おが半島」は「男鹿半島」と書きます。こちらは秋田県にあります。
紛らわしいですね。
もう1つの紛らわしい例を紹介しますね。
「大雪山」をどう読むかです。
外国のお客さんから半年くらい前、こんな質問を受けました。
「たいせつざんホテル」と「だいせつざんホテル」がある。違うホテルらしい。Daisetsuzan と Taisetsuzan はどう違うのか?
私は「大雪山」は「だいせつざん」と読むのだと思っていたのですが、調べてみました。
すると、北海道の人は同じ場所を「たいせつざん」と呼ぶことが多いと知りました。
この2つが混在している理由が分かりました。
国土地理院はこの場所を「たいせつざん」と呼称し、環境省は「だいせつざん」と呼称しているんですね。
それで、地図上では「たいせつざん」。国立公園は「だいせつざんこくりつこうえん」なんです。
紛らわしいです。
- 秋の味覚というとやっぱり栗
- 長野の渋温泉は源泉かけ流しの「九湯めぐり」が楽しめます
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2017.09.21 Thursday
こんにちは。
長野情報の続きです。
私は長野県と長野県人が大好き。
今回、長野に行く必要があり、とても嬉しかったです。
今回の旅行では、長野市、渋温泉、小布施、上田城を訪ねました。
今日は渋温泉を紹介します。
長野駅から渋温泉までは長野電鉄を利用します。
「地獄谷野猿公苑」を訪ねたかったので、近くの「渋温泉」(しぶおんせん)に泊りました。1300年の歴史があるそうです。
長野電鉄の終電である「湯田中温泉」からバスで10分くらいのところにあります。
渋温泉は本格的な温泉の湧き出ているところです。
温泉街には9つの外湯があり「九湯めぐり」が楽しめます。どこも、源泉かけ流しです。
加水も過熱もしていません。
ちょっと熱めの44度くらい(たぶん)のところもあれば、48度くらい(たぶん)のところもあります。
管理者は加水をしないので、お風呂に入った人が熱いと思った場合は、水を入れ、温度を低くして入いる仕組みです。
9つの外湯のうち、夜と朝に5つの外湯を利用しました。
そのうち、「三番湯 綿の湯」はちょっと熱めですが、水を加えなくても十分入れる温度でした。6人くらいでいっぱいになる小さな湯船です。気持ち良かったです。
下の写真の「二番湯 笹の湯」は行った時に、他の人が水を足していてくれたのですが、それでもかなり温度が熱く、じんじんする感じでした。
翌朝入った「一番湯 初湯」は誰も水を加えていなかったので、猛烈な熱さでした。気持ち良くは入れるにはかなりの時間がかかると思われたので、こちらは諦めました。
それで、最後は一番気にいった「三番湯 綿の湯」にもう一度つかりました。
久しぶりに本格的な温泉体験をしました。
泊まった宿のすぐ近くの「二番湯 笹の湯」。宿から9つの外湯が利用できる鍵を預かって、入ります。
- 「地獄谷野猿公苑 50年のあゆみ」に答えがある
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2017.09.20 Wednesday
こんにちは。
昨日に続いて、Snow Monkey を紹介します。
Snow Monkey として海外でもよく知られているサルは長野県の「地獄谷野猿公苑」で見ることができます。
ここを訪れた人の話しからも、そのインターネットのサイトからも、他のサルのいる観光地とは違うのでは、という印象を持っていました。
そして、訪れて見て、やはりそうなんだと思いました。
公苑内で販売されている「地獄谷野猿公苑 50年のあゆみ」を読むと、ここが「サルと人間の共生をめざして」50年間の試行錯誤を重ねてきた誠実な場所であることがはっきりと分かりました。
サルには「食べ物を見せない、与えない」。
「地獄谷野猿公苑 50年のあゆみ」の中で、1967年から2007年まで40年間にわたり苑長を務めた常田英士さんがこう語っています。
「入苑者が直接エサをサルに与えることを禁止したり、与えるエサをリンゴ・大豆・大麦の3種類に限定して、えさ場で撒くエサの他は山の食物を食べて生活するように、また、えさ場では個々のサルが平均してエサが食べれるように、一時に広くエサを巻くようにしました」
さて、この地獄谷野猿公苑は長野電鉄の社員であった原荘悟さんの思いから始まっています。
1950年代、志賀高原がスキー場として開発されるにつれ、生息地を追われた野生のサルが麓の村の農作物に被害を与えるケースが出てきました。
原さんは、観光資源としてのサルの活用と、農作物被害の未然防止の両方が図れる「サルと人間の共生」をめざして、1962年に野生のサルの餌づけに成功しました。
原さんが長野電鉄に企画書を提出し、行動し、地獄谷野猿公苑が誕生したのです。
この誠実な人々の努力が実を結び、今日、Snow Monkey として世界の人々に認識されるようになったのは本当に素敵です。
遠藤周作の作品に『彼の生き方』という小説があります。
野生のサルの保護をめざしていた若者が、勤務する企業の商業主義に絶望し、サルとともに森に姿を消していくという切ない物語です。
「サルと人間の共生」は簡単ではない。
それを何とか実現している「地獄谷野猿公苑」に大きな拍手を贈りたいです。
「地獄谷野猿公苑 50年のあゆみ」を読むと、なぜサル用の温泉があるのか、どうして世界中に名前が知れ渡ったのかなどの答えが全てあります。
お母さんたちと一緒の赤ちゃんサルが甘えています。
赤ちゃんサルがお母さんの背に乗っています。