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3月29日広島駅に新たなレストラン街が誕生

こんにちは。

 

3月29日に友人と一緒に大阪に行ってきました。

 

あまり時間がなかったので、街中での夕食を諦めて、夕食は新大阪駅のレストランへ。

 

まず、新大阪駅の在来線のエリアの「がんこ寿司」へGO。

 

がんこ寿司は京都や大阪で人気の寿司屋です。新大阪駅には「がんこ寿司」の回転寿司の店があります。どれも1皿100円という回転寿司ではなく、リーズナブルで質が良い。茶碗蒸しもおいしかったです。

 

まず、と言ったのは、もう1つ行きたい店があったからです。

 

こちらは新幹線のエリア内にある「名店街」のお店「くくる」。大阪のたこ焼きのお店。大阪ならではの中がとろっとしたたこ焼きが絶品です。

 

私は新大阪駅を利用する時は、ほぼ毎回、「くくる」のたこ焼きを食べています。大阪に行ったら、やっぱり粉もんですよね。

 

 

さて、それで、友人と「広島駅には、エキナカで、こんなに食事できるところがないよねえ」と話していたら、この日(3月29日)に広島駅に「ekie Dining」という新しいレストラン街が誕生したことを新幹線内で知りました。

 

さっそく、広島駅に到着後、チェックしに行きました。

 

 

新幹線口のシェラトンホテル側の1階に「ekie Dining」というレストラン街が出来ていました。21軒あります。

 

これまで、広島駅ビルの「Asse」2階にあったお好み焼の「麗ちゃん」や「新幹線名店街」の1階にあったお好み焼の「みっちゃん総本店」、むすびの「むさし」、釜めしの「酔心」、牡蠣料理の「かなわ」などがこちらに移動。

 

新たに、いま勢いのある汁なし坦々麺の「くにまつ」が「武蔵」とコラボした店を出しています。広島の有名店がズラリ。

 

「広島ぶちうま通り」のネーミングが広島を訪れた人には魅力的ですよね。

 

 

加えて、博多のもつ鍋、仙台の牛タンのお店もあります。

 

夜の10時前に行ったのですが、多くの店にとても活気がありました。

 

 

新たな観光名所が誕生しました。

 

 

 

 

 

author:eiko, category:観光地の紹介, 05:31
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松山城が残っている理由が分かりました

こんにちは。

 

昨日も紹介しましたが、松山は桜が満開です。

 

松山城の桜も見事でした。

 

 

松山城は「現存12天守の1つ」です。

 

戦国時代には数万とあった城ですが、江戸時代の一国一城令により、数百にまで数が少なくなりました。

 

そして、江戸時代が終わった後、明治6年の廃城令により、数十まで激減。

 

第二次世界大戦中に空襲で焼けおちた城も多く、現在は12のみが現存天守と呼ばれています。

 

 

私が知りたいと思っているのは、「どうしてこの12の天守閣は残っているのか?」ということです。

 

松江城や姫路城について、その公式サイトや現地の看板に「ある人物が熱心に働きかけて、天守閣が残っている」とはっきり明記してあります。

 

 

松江城の場合はこうです。

「明治8年広島鎮台は、松江城諸建造物と三の丸御殿を民間に払い下げることとし、ことごとく取り壊された。天守閣は180円で落札されたが、出東村の勝部本右衛門、高城権八らにより資金を調達、買い戻され取り壊しは中止、保存されることとなった」

 

松江城の前に数ヶ所看板があり、この人たちの顔写真とともに功績が明記されています。

 

 

姫路城の場合は「中村重遠」(なかむらしげとう)大佐の顕彰碑が城内に建てられています。陸軍の軍人だった中村大佐が軍に働きかけて姫路城は廃城を免れたと今に伝えられています。

 

 

確かに天守閣が残ったのにはいくつも理由があり、1人(松江城の場合は数名)の功績として伝えるのは好ましくないという考えもあるかもしれません。しかし、私は、その理由を探って行くと、やはり1人の人に突き当たることがあると思っています。

 

当時は他の人たちから認められなくても、100年後にその功績が讃えられるビジョンのある人がいるのです。

 

 

それで、今回、松山城の残った理由が分かりました。

 

明治時代に、初代の道後湯之町町長を務めた「伊佐庭如矢」(いさにわ・ゆきや)さんが運動の中心の人だと知りました。

 

この方の銅像は道後温泉本館そばに建てられています。1894年に「道後温泉本館」を建てたのがこの人だからです。

 

道後温泉本館は温泉施設として、120年以上たってもまだ多くの人を集めていますし、100年後の1994年には、優れた建築物として国の重要文化財に指定されています。

 

しかし、松山で受け取った資料を読んでいると、この方が道後温泉だけでなく、松山城を残すために尽力されたことが多くの資料に書いてありました。

 

ぜひ、松山城にそのことを記す看板を立ててほしい。または顕彰碑を建ててほしいと思います。

 

伊佐庭さんの行ったことを知ると胸が熱くなりました。

 

 

 

 

author:eiko, category:観光地の紹介, 05:57
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松山は桜が満開です

こんにちは。

 

3月27日と28日に松山を訪れていました。

 

松山城も道後公園も桜が満開。3月22日に桜の開花宣言があり、27日に満開となりました。

 

 

松山の桜の標本木は道後公園にあります。

 

 

その前の日に訪れた宮島はまだ3分咲きだったので、今年初めての桜の満開を目にしました。

 

心がうきうきします。

 

 

 

 

author:eiko, category:花や木, 05:39
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広島駅の待合室が新しくなりました

こんにちは。

 

このところ、霞がかかっています。

 

黄砂だとばかり思っていたら、気象庁によると、春は土が乾燥しているので、砂埃が舞っているのだそうです。

 

そうなんだ。

 

さて、昨日、広島駅に行ったら、立派な待合室が出来ていました。

 

ちょうど、メディアの取材が広島駅に入っていたので、3月26日にオープンしたのだと思います。

 

日々、広島駅は進化しています。

 

 

 

さて、3月22日に静岡県の清水市から富士宮市に移動する時に、JR東海道本線とJR身延線に乗車しました。担当はJR東海ですね。

 

 

この身延線の列車の車掌の方がすごかった。

 

乗客への案内や、乗降者の誘導、列車の発進の確認の動作がまるで華麗な舞い。

 

気合いが入っているなあと感じ入りました。

 

 

 

 

author:eiko, category:観光地の紹介, 05:06
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『東京にオリンピックを読んだ男』は驚きの1冊です

こんにちは。

 

以前、このブログでも紹介しましたが、広島県の10の市町が、東京オリンピックのためのメキシコ選手団事前合宿のホームタウンとなります。

 

そのプログラムのため、私も少し関わりを持っているので、2020年東京オリンピックが身近に感じられてきました。

 

2週間くらい前、図書館に予約した本が確保できたというので、中区図書館を訪れました。その時に、東京オリンピック関連の本が目立つ所に陳列してありました。

 

その中で、読んでみたいと思ったのが、高杉良作『東京にオリンピックを呼んだ男 強制収容所入りを拒絶した日系二世の物語』です。

 

 

今朝読み終わって、想像した以上の良書であることが分かりました。驚き、そして感動の1冊です。

 

東京オリンピックに関心のある人、日系人に関心のある人、日米の異文化間コミュニケーションに関心のある人にお勧めします。

 

 

フレッド・イサム・ワダ(和田勇)は1907年、ロサンジェルスで日系二世として生まれました。1949年に、ロサンジェルスで大会のあった日本人競泳選手を自宅に招いたことがきっかけとなり、日本のスポーツ界の人物と知り合いになります。1964年の東京オリンピック招致活動で南米の支持を得る原動力となりました。

 

それで、「東京にオリンピックを呼んだ男」というタイトルが付けられています。

 

また、第二次世界大戦中は、130名の日本人・日系人を引きいてユタ州に集団移住を行いました。寒冷地のユタ州キートリーでの農作業は苦労の連続でしたが、彼らは日系人収用所にはいることはありませんでした。こういう選択を行った日系人がいたことをこの本で私ははじめて知りました。

 

それで、副題が「強制収容所入りを拒絶した日系二世の物語」となっているわけです。

 

 

和田さんの活動は、戦争中の移住者のリーダー、成功した実業家、東京オリンピック誘致に限らず、その後も続いて行きます。メキシコオリンピック誘致支援、ロサンジェルスオリンピック誘致・実施支援、日系引退者ホームの設立など、それは多岐にわたります。

 

この間の彼の行動とまわりの反応を見ると、日米の行動原理の違いがよく分かります。異文化間コミュニケーションに関心のある人にはとても興味深い事例です。

 

 

作者の高杉良さんは実業界をテーマとした小説の書き手として、第一人者です。その高杉さんの綿密な取材に基づいたこの本はまさに東京オリンピック誘致の実際を記録した作品であるとともに、和田さんをはじめ大きな人物の存在を私たちに伝えてくれています。

 

インスピレーショナルな1冊です。

 

 

 

author:eiko, category:本の紹介, 05:32
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4月15日まで、平田玉蘊展が開催中

こんにちは。

 

中国新聞を読んでいたら、4月15日まで、三次市の「奥田元宋・小由女美術館」(おくだげんそう・さゆめびじゅつかん)で、平田玉蘊(ひらたぎょくうん)の絵の展覧会が開催されていることを知りました。80点の作品が展示されているそうです。

 

平田玉蘊(1787年−1855年)は、江戸時代後期に現在の広島県尾道市で活躍した女性画家です。

 

1996年に広島在住の作家である池田明子さんが『頼山陽と平田玉蘊 江戸後期自由人の肖像』という本を出版しました。丹念に史実を掘り起こした名著です。池田明子さんは素晴らしい作品を他にも書いています。尊敬しています。

 

この本により、それまで尾道であまり評判の良くなかった平田玉蘊の名誉回復がなされました。

 

この本にインスパイアーされて(今井さんのことば)、作家の今井絵美子さんが『蘇鉄の女』(そてつのひと)という小説を書いています。

 

この2冊の本によって、平田玉蘊の名前がよく知られるようになりました。

 

その玉蘊の絵の展覧会です。

 

 

それで、3月25日に、三次に出かけて展覧会に行ってきました。

 

 

期待して以上の素晴らしい展覧会でした。

 

平田玉蘊の作品は掛け軸、襖などに書かれた花鳥や人物画が多くありました。

 

私は玉蘊の花鳥画が好き。

 

このポスターの鶏も迫力がありますね。

 

 

また、尾道市の名刹である浄土寺に納められている「軍鶏」(しゃも)の絵(木の衝立に描かれている)も今回、展示されていました。

 

この絵は浄土寺に行った時に眺めて、その迫力に圧倒されたことがあります。再会出来て、嬉しい。

 

 

玉蘊の作品だけでなく、頼山陽の絵や漢詩も展示してあります。しみじみします。

 

他にも菅茶山や頼山陽の父・叔父の作品もあり、見応えがあります。

 

 

絵画に関心のある人だけでなく、江戸時代の尾道について関心のある人には多くの発見のある素晴らしい展覧会です。

 

 

ちなみに、一般的には「ひらた・ぎょくうん」と呼ばれていますが、尾道の人は「ひらた・ぎょくおん」と呼ぶそうです。

 

今回の展覧会でも「ひらた・ぎょくおん」と表記されていました。

author:eiko, category:本の紹介, 05:53
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静岡情報第2弾 富士山本宮浅間神社は独特な空気感がありました

こんにちは。

 

静岡情報の第2弾です。

 

静岡を訪れ、1日目に「日本平」と「久能山東照宮」を訪れ、凛とした空気を感じました。寒い日でしたが、訪ねて良かった。家康公に出合えたという感じがします。

 

2日目は早く目が覚めたので、朝7時にホテルを出て、8時前には静岡県富士宮駅に到着。ずっと訪れたかった「富士山本宮浅間大社」(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)を目指しました。

 

かなり遠いのかと思ったのですが、清水駅から富士駅まで東海道本線、その後、身延線で乗り換えて約40分でした。

 

富士宮駅から「富士山本宮浅間大社」までは徒歩で約20分。

 

赤い鳥居が見えて、浅間大社に到着。

 

ちょうど、枝垂れ桜が見事に咲いていました。

 

 

平日の早朝なので、人気もなく、神職など大社の関係者の方のみ。

 

枝垂れ桜は満開でした。

 

ソメイヨシノはこれからといった感じ。

 

富士山本宮浅間大社には「湧玉の池」(わくたまのいけ)という池があります。昔から、この大社から多くの人が参拝のため富士山へ登ったのですが、その一行が身を清めた池だそうです。

 

この池は「霊峰富士の雪解けの水が溶岩の間から湧き出るもので、湧水量は1秒間に3.6キロリットル(20石)の水が湧き出る」と書いてありました。国指定の特別天然記念物です。

 

20石というと、1升瓶にして2000本です。すごい量です。

 

湧玉の池

 

鴨が泳いでいました

 

この池をを起点として、一級河川の「神田川」が始まっているという看板を目にしました。感動。

 

青い看板には「神田川 起点」と書いてあります。

 

 

1時間くらい大社で過ごした後、予定していた列車まで1時間ちょっとあります。帰りは甲府と静岡を結ぶ「ワイドビューふじかわ」に乗車しようと思っていました。2時間に1本くらいです。

 

それで、どうしようかと駅まで向かっていると、「静岡県富士山世界遺産センター」の標識に気がつきました。わずか5分のところとあります。

 

行ってみると、すごい存在感の建物が目に入りました。

 

 

設計者は2014年ブリッツカー賞受賞者の坂茂(ばんしげる)さんでした。2017年12月に開館したばかりです。

 

こちらは展示も素晴らしく、8分間の2種類の映像がそれは迫力があり、見事でした。

 

 

静岡県に行く人はぜひ富士宮に行くことをお勧めします。

 

素敵な時間でした。

author:eiko, category:観光地の紹介, 05:32
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久能山東照宮を訪れました

こんにちは。

 

今日は暖かいですね。

 

3月21日の春分の日に静岡県を訪ねました。

 

広島から静岡にはかなり移動の時間がかかります。朝8時に出て、静岡駅に着いたのはお昼ごろでした。

 

この日、静岡県は雨。そして寒かったです。あまりに寒かったので、予定を変更して、一番行きたかった「久能山東照宮」(くのうざんとうしょうぐう)だけを訪れて、5時前にはホテルに入りました。

 

「久能山東照宮」というと、徳川家康公が埋葬された場所です。家康公の遺命だったと言われています。

 

私はこの地をぜひ訪れたいとずっと思っていました。

 

 

この場所を訪れるには2つの方法があります。

 

1つはまず「日本平」(にほんだいら)に行き、そこからロープウエイで向かう方法。これが一般的です。

 

日本平では天気の良い日は富士山が眺められるそうです。(この日は雨でした)

 

もう1つは、海岸沿いにある1159段の石段を登って、訪れる方法です。神職の方は今もこの道を使うそうです。

 

 

私は日本平からロープウエイの方法を使いました。

 

1750円で、ロープウエイの往復、拝観料、東照宮博物館で使用できるチケットがあります。「東照宮博物館」がとても充実しているので、ぜひこちらの見学もお薦めします。

 

ロープウエイは約5分間。風の強い日だったので、横に揺れて、驚きましたが、遠州灘の眺めが素晴らしい。

 

 

日光東照宮も素晴らしい場所ですが、こちらもやはり凛とした空気の場所でした。

 

長年、訪れたかったので、嬉しいです。

 

 

 

この日は大寒波が日本中を覆い、特に関東の寒波は凄まじく、箱根では大雪となりました。

author:eiko, category:観光地の紹介, 05:09
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広島県でメキシコに会おう

こんにちは。

 

だんだんと東京オリンピックが身近に感じられてきました。

 

2020年の東京オリンピックの事前合宿として、メキシコの柔道チームの合宿が4月初旬から広島県の廿日市市で行われます。

 

広島県はメキシコの全26競技のホストタウンとなっているんです。

 

2018年4月から、2020年8月の東京オリンピック本番まで、26競技全ての事前合宿が広島県の10の市町で開催されます。

 

広島市ではサッカーなど5競技の選手が合宿を行います。最大の受け入れ先は福山市です。競泳など8競技の合宿が行われます。

 

 

それで、広島県は通訳ボランティアの募集を2月中旬から開始しています。

 

スペイン語か(または)英語で通訳ボランティアとして活動希望する人を登録します。現在、すでに200名を超える人が登録しているそうです。

 

 

単に合宿を行うだけでなく、受け入れ市町との交流も目的となっているそうで、これから広島県ではメキシコのプレゼンスが大きくなるのだと思います。

 

ちょうど、ディズニー製作の「リメンバー・ミー」というメキシコを舞台としたアニメが3月16日から上映されています。

 

メキシコのことを知る絶好の機会ですね。

 

author:eiko, category:映画・TV・CDの紹介, 04:43
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維新150年。中国新聞の記事に世良修蔵が登場

こんにちは。

 

2年前の4月から中国新聞に「維新150年 残り火のありか」という特集記事が掲載されています。

 

月に2回。2018年3月11日の新聞が23回目でした。

 

今回の主人公は「世良修蔵」(せらしゅうぞう)。幕末の長州藩士。1835年、山口県周防大島生まれ。

 

「捨て石となった参謀」「強硬な征討 怨嗟一身に」というタイトルがついています。

 

官軍から奥羽鎮撫使下参謀(おううちんぶし・しもさんぼう)に任命されて、東北に出向きますが、1868年に仙台、福島藩士に殺害された人物です。その時、33歳です。

 

 

世良修蔵は戊辰戦争を描いた小説や映画に必ず登場します。とても複雑な人生を生きた人だと思って注目しています。

 

author:eiko, category:-, 05:39
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